私はお光ちゃんになれない

こんばんは。今日は新版歌祭文進んだ。

電車の中で。余談になるけれど日記も揺れる車内で書く。今日は新しいノートに変えるのを忘れていた。



国立劇場文楽5月公演、第2部
*新版歌祭文

清十郎さんが遣われる、久松ぁんを追いかけて読もうと思ったけれど、一字一句読み進めると、やはり物語が面白い。

父久作がいい。いい人やなぁというのがすぐ伝わる。

小助に銀を渡したあたりは、かっこいいと思う。

あー、玉女さんだった。絶対、様になっていると思う。(本来はお人形のみを評価しないといけないが、観られない以上、人形遣いさんの話になってしまう。)

床本集の感想と妄想が入り混じります。お許しを。



本題。お光ちゃんのことを父久作が褒めている。

私は今日から2週間、母の代理をしないといけない。でも普段やっていないので、かなりの苦痛。
特に食事の用意が。私はこれがあればいい、という感じでなんとでもなる。今の便利な世の中のおかげで。
家族の分は作られない。お光ちゃんのように…。

しかも人形芝居にばかり出かけている(苦笑)。
大阪で芝居がない今月だって、芝居の床本集ばかり読んでいる。

親孝行な浄瑠璃を知ったからには、改めないといけないと思うけれど、なかなかできない。できれば苦労はしない...



最初にお光ちゃんの嬉しそうな姿は、話を知っているだけに辛い…。
本当に嬉しそうなんだもん。



それでもお染ちゃんの死ぬ覚悟も凄い。こういうところは、浄瑠璃女子の真似できないところ。



あれ、久松ぁんは?
追いかけていたつもりが、やはり女の子の気持ちになって読んでいた。



これからも読んで、ブログにアップしたいが、休むことも考えている。
出来る範囲でやれることはやろう。
最近「情けは人の為ならず」と口ずさむ。戒めるため。
でもなかなか実行できない。本当に愛想つかれる前に頑張らないと。

よし、やろう!


旧暦弥生三十日、蚯蚓出。空氷