浄瑠璃集『桂川連理柵』

こんばんは。

今日は久しぶりに出かけない休日だったので、浄瑠璃集を読書。

内子座文楽
桂川連理柵

新潮日本古典集成、浄瑠璃
土田衛さん校注
新潮社版

まず解説を読むのが好き。

安永五年(1776)10月15日初演。

作者近松半二の「埋木」という言葉の意味でつっかえる。

「埋木」を辞書や検索で調べたが、すっきりしなかった。

でも時間が経った今、ようやくわかりかけたような気がする。

なんにせよ、作者は近松半二と菅専助なのかどうかが気になるところである。

黒木勘蔵の『浄瑠璃史』で、菅専助は書替ばかりと読んでから、あまりいいイメージではなかった。

半二先生は八重垣姫の産みの親なので、大好きだが、そういえば『信州川中島合戦』から丸々の部分もあるんやったっけ。

まぁ、色々知ってしまうが、作者があってこその、現在の文楽だと思っていよう。

あと実際の心中事件についても詳しく触れていて、お半長右衛門は宝暦十一年(1761)。

長右衛門が独白する15年前の延享三年に長右衛門は愛人と入水したらしい。

こういう浄瑠璃集を校注されるような先生は、こんなところまで調べているのか、と驚いた瞬間だった。

読むだけは本当に楽しい。



さて本題。

おはん長右衛門桂川連理柵
座本豊竹此吉

上の巻 道行恋の乗りかけ(追分松ばらの段)

『恋女房染分手綱』にあった、鈴鹿馬子唄が出てきた。

昨年も内子座文楽の前に床本集を読み込んでいたので、よく覚えていた。

それにしても江戸時代は、東海道やお伊勢参りがよく出てくる。本当に身近だったんだろう。

石部宿屋の段

七つ立ちで、また昔の時刻表を勉強。祗園暦助かってます。

でもなかなか覚えられない。今日時刻表とにらめっこして、やっと12時が九つと覚えた。

お半と長右衛門の会話で、状況が目に浮かぶ。

信濃屋の段

長右衛門に縋り泣くお半が不憫で仕方がない(泣)。

「女今川庭訓」が出てきた。このあとのお半が本当にかわいい。

妊娠を知り抱きしめる長右衛門は素敵。

そのあと、長吉と義兵衛のしょうもない企みを、あっさりとさばく長右衛門がかっこいい。

お半の気持ちを汲んであげるお絹がかっこいい。

お半が自害しようとするほどだったとは…。

生まれ変わって、長右衛門より年上になって嫌われるかも、と気にするお半がいじらしい。



下の巻 六角堂の段

ここを読んで、お絹が長吉に目配せをする意味がすっきりした。

お絹えらい。義兵衛のこともうまくあしらっているし。

またまた才治郎と雪野を助ける長右衛門がかっこいい。読んでいてすかっとした。

帯屋の段

義兵衛が読む手紙のくだりは短くてシンプル。

有名な(?)お半の「おじさん」もない。

長吉の兄五六はいい人だった。悪巧みに参加し、いいところで成敗をする。

気持ちいいが、もう少し早くに刀のことが解決していたら…。

…と思っても、おはん長右衛門の心中があったからこその物語やしなぁ…。



悲しい中に、親子の恩愛、親孝行、一途な恋、夫婦愛といった大切なことが含まれている。

悪巧みがばれるのも当たり前のこと。



浄瑠璃はこうすればよかったではなくて、どうやって生きていくのか、というヒントをたくさん与えてくれる。


旧暦水無月廿七日、涼風至。空氷