一人一代

こんばんは。

今朝は久しぶりに文楽地方公演のチラシを開いた。

仮名手本忠臣蔵
六段目はもっとも悲劇的と知る。

今週末は予定をいれなかったので、浄瑠璃集を読む予定。

…ややこしいのが、浄瑠璃集を読むよりもっと他にすることがあるのではないか…。

…いやいや、読まなかったら公演の日に読んでおけばよかったと思うのでは…。

と正反対のことを考える。

浄瑠璃の勉強に決心がついていない証拠…。

いい意味で、何か一つのことに没頭できなくなった。

でも文楽のことを思い出したり、想像していたら気持ちはとてもわくわくしているのが分かる。

まっ、文楽だけでは生きていけんちゅうことやけど。



でも、文楽ブログを続けた先には、新しい世界があると信じよう。



タイトルは、
文楽の研究
の中の一つ。

楽しく、面白く、勉強になった。

「もし義太夫が好きという血液がなかったら」など、面白くて分かりやすい文章が続く。

今まで型通りに、実力主義と聞いて分かったつもりになっていたが、義太夫の「徹底実力主義」「才能至上主義」がよく分かった。

義太夫が「わかりにくい」とも出てきた。私が文楽の魅力の一つに「わかりにくいこと」と感じていたことなので、ちょっと自信がついた。



そのあとの武勇伝がまた面白い。

そして義太夫の価値「本質的の大小」を知る。


旧暦文月廿九日、禾乃登。空氷