国立文楽劇場錦秋公演

こんばんは。

今日からまた、
国立文楽劇場、錦秋公演
*嬢景清八島日記
*伊達娘恋緋鹿子
の床本集を持ち歩くことにした。なのに今日は結局開かなかった。

チラシは眺めていたが。

家に帰ってから、
紀海音の『八百やお七』を読んだ。

横山正さん校注・訳
*日本古典文学全集 浄瑠璃集(小学館・刊)昭和46年発行

上巻まで。しかも、また途中から口語訳だけを読むというずるっこ(苦笑)。

でも物語に引き込まれていた。

桂川連理柵』にある、「長様は長吉のこと」とする場面があるが、「よし様参るお七より」をかばう住職が出てきた。

菅専助は紀海音の改作とよく聞くから、納得した。

でもこのごまかすパターンは紀海音が始まりかは分からない。



文楽の新作について賛否両論だが、今後紀海音の人形浄瑠璃を新作としていつか聴いてみたい。

新しい作品ではなくて、今は上演されていないが、浄瑠璃が残っているものを新作として取り組むことができたら、文楽の質は向上するのではないかと思う。

もしくは改作に慣れてしまっているが、できるのなら初演の浄瑠璃に挑戦してみてほしい。



今の文楽は個人の芸に拠るところが大きいと思っているが(時代の流れとともに)、作品中心に方向転換すれば、新たなファンが増えるのではないかと思う。

『八百やお七』を読んでそう思った。

浄瑠璃集を読むと、始まりがいいなぁと感じるものが多い。

芸を見せるだけなら、名場面だけでいいのかもしれない。

でも物語中心になれば、最初から最後までという長丁場になるが、それをあえてやってほしい。


旧暦葉月廿五日、ムシカクレテトヲフサグ。空氷