国立文楽劇場錦秋公演

こんばんは。

国立文楽劇場、平成22年錦秋文楽公演に向けて、床本集等を読んだ。

年号大好きなので、
*1751年 一谷嫩軍記

*1764年 嬢景清八島日記

*1773年 伊達娘恋緋鹿子

*1782年 近頃河原の達引



『伊達娘恋緋鹿子』は昨年12月のプログラムを参照。

上演機会があるのだから、全部を読んでみたいと思うが、六段目しか残っていないらしい。

刀のすり替えは、
*1776年 桂川連理柵
にも出てくる。

*1715年ごろ 八百やお七
に刀のすり替えは、解説を読む限りでは出てこなさそう。

全部はまだ読んでいないが、せめて4時間半の公演で聴いてみたいと思ってしまう。



『嬢景清八島日記』は今年2月のプログラムを参照。

改めて景清が平家の侍大将と知る。

物語の大前提を知っていると、物語のスケールや、初演当時の雰囲気が少しでも感じられると思う。

と共に時代は変わっても『親子の恩愛』の大切さを文楽は投げかけてくれる。



『一谷嫩軍記』は
祐田善雄さん校注
*日本古典文学体系99 文楽浄瑠璃集(岩波書店刊行)昭和40年発行
の解説を読んだ。

でもな…、恐れずに言うならば、私は芸本位より、物語、作者本位だと思いたい。

でもそれは、まだまだ体験不足であるし、考えも未熟なことは分かった上でのことであるが。

それに自分自身も清十郎さんを応援するという立場で文楽に関わっているから。

だから書いといて今さらだが、うまくまとめられる自信がない。



でも今日至った考えは、文楽の良さが多くの日本人に伝わっていない今、物語中心に方向転換するのが策だと私は思った。



文楽=物語(語りの文化)



という図式が広まれば、それぞれの芸の良さも十分伝わるだろう。

私がまだ初心者であるからこそ、また初心者を文楽に誘うための魅力をちゃんと持っていたいと思う。



『一谷嫩軍記』の床本集は二回目だったので、より良さが伝わってきた。

初めて読む前から結末を知っていたわけだが、「知らなかったら」感動は大きかったのだろうか。
今となっては謎である。

平家物語』では敦盛が首を討ち取られるのだろう。
その場面に松平定知さんは感動すると言っていた。

その場面をさらに我が子を手に掛けるように書いた、並木宗輔の意図はなんだったのか。

物語だからこそ成立する。

ここまで考えて『物語』とは何か、に行き着く。
答えはないのかもしれない。
たくさんの物語があるから。



『一谷嫩軍記』最初から敦盛と小次郎が入れ替わっていると思うと切ない。

平山の登場が本当に憎らしい。

熊谷直実の妻と藤の局の会話は唯一和む。

そのあと熊谷直実が戻ってから、妻との会話がまた切ない。

漠然と思ったのだが、妻には早く帰って欲しかったのだろう。
その優しさがまた切ない。

結局妻のいる前で首実検になるという悲しさ。

死は避けられないという思いに至った。
愛する人の死に対して、自分はどう向き合うのか、それを考えさせられた。



『物語』はその時代の世の中の人が想っていることから形創られていくのだろうか。

今の日本では、死は隣り合わせではない。

でも浄瑠璃の世界では、死ぬ覚悟が出てくる。

自ら死ぬことをよしとは思わないが、いつかは必ず死ぬということは忘れてはならないと思っている。

文楽を通して『親子の恩愛』と『死』についてよく考えるようになった。



『近頃河原の達引』は
頼桃三郎さん校訂
*近頃河原達引 桂川連理柵(岩波文庫)昭和14年発行
の解説を読んだ。
漢字が旧字体なので半分も読めていない(苦笑)。
でも成立時の浄瑠璃史解説の意味はわかりやすかった。

明和安永は新作はあるが、浄瑠璃の衰退期であると。

ここを読むと、やはり作者の質について書かれているので、「文楽=物語」の図式はあてはまるように思う。

でももちろん素晴らしい物語を披露する、太夫、三味線、人形遣いの方があってこそだと思っている。

そしてきれいなお人形や、大勢の裏方の方たちによって創られている。



錦秋公演の舞台まで、いろんな事に思いを巡らせながら、楽しみに待ちたいと思う。

浄瑠璃を聴いてこそ分かることがたくさんあると思うから。


旧暦葉月廿六日、ミズハジメテカルル。空氷