『一谷嫩軍記』林住家の段
こんばんは。
今日も、
国立文楽劇場、平成22年錦秋文楽公演、
*一谷嫩軍記
床本集に夢中になっていた。
今日は「二十余年の栄華の夢」の二十余年が気になって、iGoogle検索。
平清盛は1118-1181
平経盛は1124-1185
平忠度は1144-1184
三人は兄弟と改めて知る。
Wikipediaありがとうございます。
昨年の『サライ』も助かっている。
平敦盛は1169-1184
熊谷直実は1141-1207
熊谷直家は不詳らしい。
でも熊谷寺の父母の隣に眠っていると知り嬉しくなった。
敦盛は笛の名手らしい。祖父から「青葉」の笛を譲り受けたそう。
浄瑠璃(物語)で知ったことが、事実とシンクロする瞬間はわくわくする。
源平の戦いは治承四年、1180-1185
一ノ谷の戦いは寿永三年、1184年
忠度と敦盛の没年と同じ…。
日付が2月7日(3月20日)らしいが、浄瑠璃では「弥生の初めつかた」となっている。なぜだろう。
『平家物語』を開いても、2月7日となっている。
しかも!開いたおかげで、
「おもだかを一しほ摺ったる直垂に」
という浄瑠璃と同じ文章をみつけた!
浄瑠璃の方が真似をしたんやけど。
校注に「おもだか」はおもだかの葉を模様化したものとあった!!
うふふ〜、あたしの日本語読解力がここ何日かでレベルアップできたことが、確認できてすごく嬉しい。
文楽の勉強をする、と決めた時に解説本ではなくて、浄瑠璃にぶつかろうと決めていた。
分からないなりに、ぶつかり続けていれば答えがみつかることを実感した。本当に嬉しい。
勉強を続けられるきっかけになった。
今日は「二十余年」でひっかかったので、これ以上先へは進めていない(苦笑)。
でも一ノ谷は、忠度と知盛が守っていたと知り、家に帰ってから「林住家の段」を読んだ。
読む回数を重ねるごとにすらすらと読めるようになり、悲しさがさらに伝わってくる。
林住家にたまたま、忠度と菊の前、そして山桜を託された六弥太が訪れる。
ようでけた浄瑠璃やと思う。
忠度と菊の前の別れが悲しい…。
忠度が歌の掲載を喜ぶ姿が目に浮かぶ。
初めて「敷島の道」と出会った。本で知っていただけだったことの理解が深まった。
「堀川御所の段」を聴いて、「林住家の段」を聴けば本当に泣けると思う。
さらに並木宗輔ではない四段目「六弥太館の段」もちゃんとつながっているので、初めて読んだ時から泣けた。
なので文楽で四段目までいつか聴いてみたい。
旧暦長月十五日、キリギリストニアリ。空氷