文楽関係者が忠臣蔵を選んだ理由

おはようございます。

また久しぶりになってしまったブログ。

初めて始めたネットの、はてなブログはいつまでも気になる。



タイトルは、今年10月に亡くなられた丸谷才一さんの『忠臣蔵とは何か』を読んだから。

16日の日経新聞で知り、それからGoogleWikipediaへ飛んで、忠臣蔵本があることを知った。

すぐAmazonで注文した。

翌日届いた。便利な世の中やね。
ほんまありがたい。

3日間で大まかに内容をつかんだ。



私は福澤諭吉さんの影響で、忠臣蔵が好きになれなかった。

敵討ちは無駄だという思いだった。

それなのに『仮名手本忠臣蔵』は人気がある。

だから忠臣蔵のことを書いた本を読みたい、と思い続けていた時に出逢った。



御霊信仰

私にとって納得のいく内容だった。

縄文時代に触れる機会が最近増え、ますます大昔の暮らしぶりに想いを馳せる時間が多くなった。

それに昨年8月に出逢った、梅原猛先生の『隠された十字架』の世界観は理解し、支持している。

しかも10月は『水底の歌』を読んでいるところだった。

こっちを中断して、忠臣蔵を繰り返し読み、最近人磨呂に戻ってきたら、丸谷さんを思い出すことが出てきた。

本の内容で感動することはもちろんやけど、自分で選んだ本と本がつながっている瞬間に出くわすことも読書の醍醐味。



御霊信仰を真っ先に理解したのは、ホンマでっか!?TVで門倉先生が言っていた、「わら人形が流行っている」というお話。

自分が本当に恐れているか、と聞かれたら実感はない。

やはり怪談話として知っている程度。



私には忠臣も分からなければ、敵討ちも分からなかったけど、「御霊信仰」という信仰ならすんなり理解できる。

奈良に出かける度、信仰について真面目に考えるようになった。

それが優雅と思われている奈良時代や、江戸時代にあっても不思議ではない。

ない方がおかしい。

現代だってたくさんの神社仏閣が身近にある。

すべてが祟り神ではないにしても、脅威の自然に祈り、感謝する場であると思う。

諏訪春雄さんて、近松角川文庫の方よね。

論争はネットで少しだけ分かった。



私からすれば信仰がないのに忠臣だけで、忠臣蔵を好きになれる方がおかしい。

あ、思い出したよ、世界ふしぎ発見で、吉良上野介はいい人だったと知ったから。

いつのことか忘れたけど、それから昨年の5月『義にあらず』と出逢った。

たまたま同じレーベルの本を読んでいたという偶然の出逢い。

少しずつ事実を知り、三平の自害も歴史ヒストリアで知った。

お芝居の忠臣蔵は事実とかけ離れた部分があると思うと、その世界観になかなか入り込めなかった。

それを今回丸谷さんの本でやっとつないでもらった。

丸谷さんの本を選んでよかったのは、赤穂浪士討ち入りの綱吉の時代と、お芝居仮名手本忠臣蔵の吉宗の時代、両方を読めたこと。

歴史に疎いまま文楽にはまり、なかなか思うように理解が進まない私にぴったりだった。



読み進むにつれ、11月公演を仮名手本忠臣蔵に決めたのは、信仰心が働いたとしか私には思えない。

悪政かどうかの判断は今は分からないが、文楽にとって悪政であることに違いはない。

シアターセブンで、英大夫さんが「補助金を凍結してほしかった」と仰っていた。

確かにあんなに悪く言われるぐらいなら、関わって欲しくない。

しかし現代の四十七士が効果的だったのか、補助金凍結は解除になった。

咲大夫さんは討ち入りに来た訳ではないと仰ったらしいが、気持ちは補助金問題に対してじゃなく、文楽に対して謝って欲しかったのではないだろうか。



曽我兄弟の話から、曽我狂言のこと、そして忠臣蔵の成立、今日までの上演。

信仰面は薄れたかに見えてやはり効果はあったように思える。

今冬を向かえ、冬の王という概念も実感している。

まぁ農業もなにもしていないので、苦しい思いは何一つないが。

ただ感じる気持ちの上で、なんだか落ち込むようなものがある。



でも冬の空はかっこいい。

朝焼けも夜空も。



冬の空を見ても丸谷さんが浮かぶ。

それほど忠臣蔵を離れた世界観、雄大な時間軸に触れた本だった。



さらに最近になって、文庫版のあとがきをじっくり読むと水神さまのことが。

みたらい渓谷に行った時も、民博に行った時も、龍ってなんやろなって考えていた。

民博では金関恕先生の見解も知ることができた。

私は川そのものだと思っている。

丸谷さんの鱗のお話にも納得がいった。



だからこそ文楽忠臣蔵を上演するからには討ち入りと、勘平の焼香の場面は必要やと思う。



でも文楽11月公演よかったよ。

まずは『大阪アースダイバー』中沢新一さんの解説。

始まる寸前に席に着いたので、お芝居と同時進行で読んだ。

「神の視線」に感動したよ。

『大阪アースダイバー』も文楽の口上で始まるから驚いた。

日経新聞で知り、民族の話が面白そうと思って買ってから文楽を知った。

まさかそのあと国立文楽劇場で再会するとは。



南都さんやっぱり好きやな。声が。
津國さんは師直に合ってたな。
源太くん、よ、男前。
始さんに感動。

期待の睦さん。よかったよ。

いよいよ源太くん、いや勘平さんの登場。
山崎街道と違って爽やかさにびっくり。

裏門の見せ場にうっとり。

まだまだ見せ場があるから、休憩中は食べ過ぎないことにした。

友人に国芳さん幽霊描いてたよと聞いて、再度展示室へ。

前にも書いたかな。大好きな国芳さんと同じお芝居を体験できるって、伝統芸能の良いところやわ。

お芝居を観ながら、刃傷の理由って分からないままやでなと思い出していた。

丸谷さんの本で「かんしゃく持ち」とあったから。

だからそんな理由の刃傷なのに、部下達が敵討ちするのには、上司の祟りがあると信じていたからこそやと思う。

そもそも祟りとは、自分が嫌な思いをするとかじゃなくて、天災とか悪政のこと。

世の中が大変なことになると信じていたからこそ、民衆の期待に応え討ち入りした、というのもすんなり理解できる。

そこで曽我もので、というリクエストがあったという下りは笑ってはいけないが、笑ってしまう。

読みながらその場に居合わせたように感じる。



山崎街道では、源太くんと源太くん。

河内長野でも、観賞教室でも最前列ではなかったので、首(かしら)を楽しめなかったよ。

おかる父の言葉はようでけてる…。

死骸を谷底へ、で実験刑事トトリさんを思い出した。

財布の紐は、あんな頭でっかちには掛かってないでな(笑)。

呂勢さんもよう聴こえる。

四つは10時で合ってるはず。

勘平さんの落ち着かない感じがよかった。

どうして嘘つくんやろうな…。

一文字屋に笑いつつ、横田めぐみさんの「まっててね」を思い出す…。

「悲しうもなんともない」…悲しいに決まってるよね…、おかる。

勘平はね…早まって死ぬから泣けるよね。

でも今回の通しで聴いてこそ4回目にして今まで以上の感動があった。

懐中より一巻は、内山先生の解説を思い出した。



一力茶屋はおかると兄がよかった!!

拍手できてよかった。

みのしゃんのおかるは、めっちゃかわいかったし。

長唄も尺八もよかったな。

山科閑居後は呂勢さんで。

花水橋って誰の本なんやろうね。

多少の不満はあるものの、丸谷さんが言う主役扱いの勘平さんを清十郎さんで観ることができて本当によかった。