古墳時代に夢中

こんばんは。

千鳥コレクション2回目はメールが送れず断念。

それからまたブログから気持ちが離れていたが、書きたくなった。

今日から遡ることになると思う。

さっきまでファミレスで、梅原猛先生の『黄泉の王』を読んでいた。

届いてから三度目の挑戦になる。

7日に上山春平さんの『神々の体系』を読み終えた。

それから次に何を読もうか真剣に考えていて、9日弥生博の講演会のレジュメを読み返し、Wikipedia古墳時代を開いた。

その時に、高松塚古墳が目に入り読むことに決めた。

自分では、いわねしまけるの『水底の歌』を再開しようか、それとも『黄泉の王』にしようか、と候補でもあった。

私は流れに乗るのが好きである。

今日はテクスピア大阪で開催の、『ジャーナリストが語る考古学』に出かけた。

幸い、行きも帰りも雨に遭わずに済んだ。ラッキー。

自転車人として、雨の日の覚悟はできているので降ってもかまわない。へっちゃらである。

かわいい丈夫な傘を買ったから(笑)。雨の日のブーツもあるし。レインブーツじゃないけど。

このフォーラムは自民党の決起集会に出かけて知ることができた。

そっか、今気付いたけど、泉大津から自民党候補が出なければ、テクスピア大阪で決起集会が行われなかったってことやな。

残業を断ってでも、行ってよかったと思っている。

ポストに入っていた決起集会のチラシを見た時、「おもしろそう」って思った。

もちろん真面目に政策を知りたいと思った上で。

行ってよかったのは、オール阪神さんの「見てきたんかい」というようなお話(笑)と、世耕さんと、二階先生にもお会いできたこと。

面白かったのは(笑)、全員でかけ声があったこと。

でもなにより(おい)嬉しいのは、金関恕先生にお会いできる機会を知ることができたこと。

私は弥生博、金関恕名誉館長のファンである。

そう思っていたのに、館長さんが代わられていたのを、昨年の10月に知った。

本当にショックで、弥生博に行かなかった自分が悪いのに悲しくなった…。

弥生博は近くにあるから、もっと行っておけばよかったと思った。

でもその悲しい気持ちから、約2ケ月後に知ったので救われた。本当に嬉しかった!

そして、やっと今日を迎えた。それなのに、出かける寸前の風雨に一瞬だけ心が折れた(笑)。

気持ちって長続きしないものね。まぁそれでも雨用の準備を始めて出かける気になった。

始まって金関先生のお顔を拝見しただけで、来てよかったと心から思ったし、最初に縄文時代高松塚古墳の話が聴けたので内心では大興奮!!

縄文時代は、11月に弥生博で水野正好先生の講演を拝聴してから魅了された。

高校の恩師への年賀状に「縄文時代に夢中です」と書くほどに。

3年間お世話になった(握手すら答えられない不真面目な生徒やったけど)、英語の先生なのに(笑)。

この時も、上山春平さんの『照葉樹林文化』を少しだけ読み進めた。

上山さんが亡くなられた時に、中公新書リツイートで知った本。

梅原先生のお友だちと知っていたけど、中尾佐助さんともお友だちだと知ったことが最初の感動。

中尾さんは、ポニョが公開の時、ジブリのプロデューサー鈴木さんが、宮崎駿さんとの思い出話として本に出ていたのを福岡伸一先生の記事で読んだ(はず。その新聞の記録にあたってないので。)。

その時の会話が「この本読んだことある?」だったので、私も駿さんに近づきたいと思ってすぐ注文した。

でも未だに最初の方を何度もうろうろ。なかなか進まない(苦笑)。

水野先生のお話はナウマンゾウのことが印象に残る。

バカだから、ナウマンゾウが瀬戸内海を通ったんです、と聴いて「ナウマンゾウは泳げるのか、へー。」と本気で思った。

すぐあとに、海がなかったんですね、とおっしゃった。

ブラタモリで海進・海退の話を聴いていたのに、本は読んでなかったので身に付いてなかった。

水野先生のナウマンゾウのお話は、岸壁の母あり、人は共に歩き弱ったナウマンゾウを仕留めるなど、泣けてしまうことがあった。

縄文時代は、年末に梅原先生の『日本の深層』を選んで、年明けに本屋で『日本人の源流』と『農耕社会の成立』に出会った。

『農耕社会の成立』を先月、弥生博のセミナー『弥生土器が終わるとき』に向けて読んだ。

この時にやっと考古学の時代を勉強しなおした。

知らなくても大人にはなれるもんだ。

この本では、岩宿の後期旧石器時代、縄文の生活、弥生時代の終わり、箸墓から古墳時代だと学んだ、というより、そう覚えた。

旧石器時代の捏造事件は、この本を読むまで忘れていた。

セミナーに行くと、巻向(←これしか出ないよ)型墳丘墓という言い方がありますね、というお話があった。

私は学生時代からの丸暗記が抜けず、セミナーのあと「古墳時代の始まりは決まってないんですか」と質問した。(質問できるようになったから、丸暗記からは脱却かな。)

自分で本を読むしかないそう。

(失礼ながら)おっとこまえの学芸員さんは、土器の流れを詳しく教えてくださった。

木製農具の時にたまたま解説を聴いて、この時もブームがあると言っていたし、触らせてもらった土器が軽くて、薄いのもブームがあるそう。



2月半ば、妹とファミレスに行きたいなぁ、と盛り上がり仕事帰り行くことに決めた!

このおかげで、シンポジウム『巨大古墳からみたヤマト王権』を知ることができた。

その日は着物屋さんでの無料着付け教室を予約してたけど、用事だけ済ませてテクスピア大阪へ向かった。

着付け教室をキャンセルしたのは、平日の近鉄文化サロンを諦めたから。

パワフルな水野先生のセミナーもあったし、近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長のセミナーもあった。

白石館長が泉大津に来られるので行きたいな、と思った。

ちょうど岩波新書の、シリーズ日本古代史に『ヤマト王権』があったし、私の中に流れが既にできていた!と感動しぃにとっては踊り出したくなるほどの出逢い。

18日に届いて、前日の23日まで読み続けた。

最近の読書の流れで、ポツポツと分かることがあったのと、やはり目的があると頑張れた!

この日は、岸本直文さんの説が衝撃的だった。

岩波新書と全て反対、というのが私の印象。

必死で覚えた年号も、3世紀から倭王権と。

ヤマト王権倭王権と表記される。

倭国王初代は卑弥呼です。女王なんです、と。

箸墓は卑弥呼ですと断定された!

前方後円墳は近畿から始まってます。

ヤマト国(邪馬台国)の本拠地は近畿(巻向)で決着しています、と。

へ?えー!!

天皇陵も覚えたとこやのに、かなり違っていた。

欽明天皇陵が違うのは知っていたけど、驚きだった。

河内政権なんです、と。

珍と済は異系統であると。

衝撃ではあったが、自分の記憶になっていたことが分かり、嬉しいことでもあった。

岸本さんのパワポのレジュメがほしかったけど、26日に届いた『古墳の時代』に書かれていたのですっきり。

2日には、弥生博で知った、近つ飛鳥での安藤忠雄さんの講演会に出かけた。

きっかけは安藤さんやけど、古墳時代を勉強してから、古墳の博物館、近つ飛鳥に行くことになり、また感動しぃには小躍りする瞬間。

講演会場で白石館長をお見かけしたので、岩波新書と岸本さんの説は反対ですね、とお話させていただいた。

史料が少ないですから、というのが答えだそう。

もちろん王宮が重要とも考えておられた。

私は大仙古墳は允恭陵と思うことにした。

今日のフォーラムのチラシに載っている水鳥形埴輪が津堂城山と知り、調べてみたら近つ飛鳥で展示されているという!!

鳥好きにはたまらない!写真も撮れたし!

昨日は弥生博で、近つ飛鳥の森本さんの刀装具の講演会。

今度は近つ飛鳥で展示されている七支刀(レプリカ)のお話も。はぁ、びっくり!

高松塚古墳の唐風の刀のお話も。ここまで来て弥生時代から流れがあったなと実感。

今日のフォーラムには声が素敵な今尾文昭さんも急きょご登場。

行政vsジャーナリスト、じゃないけど、パネルディスカッションも楽しい時間だった。

ジャーナリストの方から捏造事件の話が出て、あとの時間で後日談みたいなものが聞けてよかった。

最後に、私の最大の謎だった呼称がバラバラ(古墳時代の始まりも)なのは研究者によって違います、と聞けたことが最大の収穫だった。

金関先生のユーモアで閉会となり、本当に楽しい楽しい、3時間半だった。



そして『黄泉の王』にも高松塚古墳の刀装具のカラー写真が!

今日だからこそ印象に残った。今まで何度か開いていたのに、載っていることは覚えてなかった。

しかも草壁皇子の大刀の話が!

『神々の体系』を読み終えたあとだったので、驚いた。

梅原先生は三種の神器の刀だと言う。

伝説的な話が現実的に。

弥生博で昭和3年制作の大刀を見たとこやし。

『黄泉の王』がこんなにも自分の流れの中にフィットしているとは感動としか言いようがない。



今日は今尾さんにまたお会いできたので本を検索。

2012年の本があったので注文。同時に岸本さんの2012年の本も見つかったので、こちらも注文。

でも梅原先生は、考古学者の研究より、世阿弥の能の方が塚(古墳)の本質を示してはいないか、と。

本を2冊注文したあとだったので、笑うしかなかった。

能の塚に関するものはまだ観たことがないので、機会があれば行きたいなと思った。

高松塚古墳には「塚」と「古墳」の両方付けられている、というのには納得した。

読み終えた時には、古墳に対する意識が変わっているのだろうか。



スゴモリムシトヲヒラク。空氷