『出雲の銅鐸』

こんにちは。

この前の夏休み(7月)と違って、猛暑日に西日の部屋にこもっていられるか実験中の空氷です。

ウソ😄

飲食店に避難するか足踏みしているだけ。

でも実験というのも合ってて、案外過ごせるのかもと楽観的だったり。

あ、楽観的は昨日弥生学習館で聴いたお話にあった。

地球研の中塚先生のお話。

10年ほど安定した気候で安定した生活を送れると、弥生人も楽観的になっただろうと。

結論は太陽活動の影響だと。

これは何回か聞くのに、すぐ忘れてしまっている。

だから「備えあれば憂いなし」で日々を過ごすしかない。

地震のあと、ずっと気にして生きるのは嫌やなぁと感じたけど、いつからか備蓄が当たり前になった。



森先生と石野先生の銅鐸のあと、佐原真先生と春成秀爾先生の銅鐸へ。

買った時に読んだきりだった。

昨日改めて読書開始。

出雲の岩倉で見つかる前に神庭荒神谷で見つかっていたと、前回理解できず昨日「はっはーん😄」となる。

自分頭悪〜い。

神岡(かみか)の発見はさらに前だと知る。

神戸博に行くと国宝神岡(桜ヶ丘)銅鐸が堪能出来るよ😄



今悩ましいのは「埋納」。

「my脳」じゃねぇよ(笑)。

さっき確かに自分の頭って使ったけど、勝手に言い換えるな、予測変換(笑)。



埋納って、捨てたのか、丁寧に埋めたのかどっち?って。

だって土器で埋納って聞いたことがなくて、でも考古学って土の中のモノやし。

「埋納」という言葉の使い分けが自分では分からない。

これからだ。