中西敬二郎先生著『人形は生きている』

こんばんは。昨日届いた嬉しい物は、
中西敬二郎先生著
『人形は生きている』
1980(昭和55)年11月10日発行

ある方が2冊あったので、と1冊送ってくださった。思ってもいなかったので、ありがたかった。

この本とは別の内容のメッセージを読み、ご連絡をした。そのメッセージに気付けたのも、本当にたまたまで、あの時じゃなかったら、中西先生の本との出会いはなかったと思う。

だから偶然って何なんやろうって思う。

でも今回は文楽の神さまが出会わせてくれたと思うことにしよう。

もちろん送ってくださった方がいたからこそ、というのは十分承知の上で、なぜこの出会いがあったのかといつも不思議に感じていたから。

文楽の勉強を始めるようになって、なぜお人形にお芝居を託したのかがずっと気になっていた。

ずっと知りたいと思っていた。

文楽ブログ1ケ月の記念日に届くのは、神さまからの贈り物と思ってしまう。
ありがとうございます。

今までも「ひとかた」や「かたしろ」という言葉に出会う度に考えてはいたが、よく分からなかった。

中西先生のご著書でこれから勉強しようと思う。

アマゾンで初版(昭和30年発行)が中古でみつかり、さっそく注文をした。届くのが楽しみ。



今日は1ケ月ぶりに本屋へ。

内山美樹子先生の
文楽二十世紀後期の輝き』
を購入した。

茶店で少し読めた。
内山先生は辛口だった。

私が知らない頃の劇評なので、とにかく読んでから感想を書こうと思う。

ちらっと見つけたのは、『妹背山婦女庭訓』の通しは順序通りやるべきだと。

私はまだ1回も観たことがないので、なんとも言えないが、浄瑠璃ファンとしては浄瑠璃通り観てみたい。

でも文楽ファンとしては、公演があるだけで嬉しい。

どちらがいいことなのかは私には分からない。

とにかく4月公演を観てからまた感想を書きたいと思う。



文楽は一体誰のものか?
考えてはいけないことかもしれない。

でも敢えて言うなら、私は技芸員さんたちのものだと思っている。

私は受け止めることしかできない。

どのような形で後世に遺していくのがいいのか。
ファンとして少しずつ考えていこうと思う。


旧暦如月十三日、桜始開。空氷