『人形は生きている』読了

こんばんは。
中西敬二郎先生著
『人形は生きている』(昭和55年)読了。楽しかった。

昨日から気になる箇所に付箋をぺたぺた。

文楽の手引き「寺子屋」は夏休み公演の前に読もうと思う。

まずすっきりしたのが、
昭和38年の五人三番叟
文楽の男 吉田玉男の世界』で初めて知ったんやった。
今日ふとこの本かも、と勘が働きビンゴだった。めっちゃすっきりした。嬉しい。
しかも花形五人がちゃんと載っていた。
中西敬二郎先生のご本には写真が載っている。
一番若いのが玉男さん。44歳の時。
…と思ったら、二世桐竹勘十郎さんが43歳だった。

気になることが一つ。
桐竹紋十郎さんはほとんど二代目となっているが、中西敬二郎先生のご本には三世として署名されている。
自分が持っているあらゆる本で調べた結果、桐竹門十郎さんから数えているのかなぁと。
本人が言っている方を信じようと思う。



人形史でいつも泣けるのは、宇治加賀じょう(宇治嘉太夫)が下阪したものの京都へ引き上げねばならなくなった時のこと。
負けた方の気持ちを考えると涙が出る…。

これは渡辺保さん著
『江戸演劇史』で初めて知った。
竹本義太夫さんの雄姿しか知らなかった私には衝撃だった…。

それでも夢をあきらめなかった、竹本義太夫さんに私は憧れる。



もう一つ分かったことがある。
聴く芝居から見る芝居へ転換したこと。
竹田出雲はんが興した革命だったらしい。



これを知り、なぜ私が人形に惹かれるのかが少し解けたように思う。

あとは中西敬二郎先生と同じく、私はただただお人形を愛おしく思っていることに気が付いた。

なぜ?はそこにお人形があるからだった。本当に。



私と文楽の出会いは、新大阪駅静御前だった。
まさにお人形との出会いがなかったら、今の私はいない。
あの時、静さんと出会えて本当によかった。
最近まで八重垣姫と勘違いしてたけど...
でもこの思い込みが、清十郎さんと結びつけてくれた。

続きはまた後ほど。


旧暦如月廿九日、鴻雁北。空氷