『わたしが死について語るなら』

こんばんは。今日は皮膚科に出かけた。待ち時間を覚悟して、文楽ノート、床本集、この本を持って行った(結果待ち時間は4時間)。

山折哲雄さん著
*わたしが死について語るなら

以前の日記にも少し書いた。書いた次の日に妹が買ってきてくれた。妹が尋ねたら店員さんは探してくれたそう。店員さん、ありがとうございます。この日は早く読めて本当に嬉しかった。
この日も少し読んだが、最近新聞の広告で何度も目にするので今日は読もうと思った。

皮膚科の椅子に座って、鼻水をすすりながら読んだ...

内容をまとめるには時間が必要。
金子みすゞさんのページからと思い、文学の章を読む。
北原白秋宮沢賢治さんの詩を知った。

そして西方浄土の意味を知ることができた。
今まではとりあえず西の方角としか認識していなかった。

妹背山婦女庭訓の第1部、後室定高と雛鳥の場面。西方浄土が出てくる。
この時の後室定高の気持ちが、本のおかげでさらに理解できた。

今日読んで本当によかった。
明日の千秋楽は通しで観劇予定。

千秋楽になってから気付くのも遅いのだが、その時限りの舞台の命を余すことなく感じたいと強く思うようになっていた。

舞台の命を感じたからには、本気の拍手をめいいっぱい送ろうと思う。



あと古典の章も読んだ。
浄瑠璃に親しむようになってから、死は身近に感じるようになった。

祖母との悲しい別れを経験したことも大きいが、浄瑠璃(古典)で前もって知っておくのはいいことだと思う。

山折さんが仰るように、浄瑠璃を含めた古典を声に出して読むことが日本中に広まればいいなと思う。
齋藤孝先生の弟子(自称)としては、やる気が湧いた。
はい、頑張ろう。


旧暦弥生十一日、葭始生。空氷