『街場のメディア論』

こんばんは。

あ、今日は休日なので、いつもより早い時間だ。外はまだ明るい。

内田樹さん
*街場のメディア論
読み切ったので書くことにした。

テレビ、新聞、出版の「危機」、あるいは「未曽有の危機」と帯や、カバーにあるが、内田樹さんはそのように言ってないのではないか、というのが第一印象。

よくなってほしい、という風に言っていたと思う。

だから誰が「危機」と思っているかが大事。

これはテレビ、新聞、出版に携わっている人が危機なんだろう。

あたしには直接関係ないと言い切れる。

医療と教育の「クレイマー」にはくたばれ、と思っているが。

同席する可能性があるだけにぞっとするし、医療と教育の質がクレイマーのせいで落ちるかと思うと、この本を読んで気付いてくれと思う。

まず医療と教育は、専門の先生が必要な分野なのだから、昔通りに先生を崇めてもいいと私は思う。

もしそれで痛い目に遭うのは、見抜けなかった自分のせいだから。

私は今まで病院の先生に任せていたし(父の外科手術など特に。お願いするしかない)、学校の先生もバカにしたことはない。

やたら嫌がっている同級生はたくさんいたが。(たいがいは外見的なこと。これは一番言ってはいけないことだと思っていた。まぁ私は言わないだけで、同級生を訂正できなかったから同罪やけど。)

給食の話で、いくらお金を払っても、「いただきます」と言わない子には給食を出さないと、生産者や調理者に断られたら食べられないということを知るべきだ。

実際にはならへんやろうけど(↑言い過ぎかどうかで迷い中)。

「いただきます」の向こうには、自然や生産者の方、調理してくれている方を想像するべきだ。



テレビについて。

「危機」は何が危機なのかよく分からない。

なぜなら番組数がめっちゃ多いから。まず儲かっていないなら、減らせばいいのに。

内田樹さんに学んだ、メディアはビジネスではない。だから儲かったかどうかは言いたくないが。

でも例え、テレビがどうなろうとも、見る時間が減った今、困ったことはないので、テレビが変わろうが変わらまいが、私の姿勢は変わらないだろう。

唯一思うのは家族の団欒に彩りをありがとう。

テレビがついていたら見ているのは確か。でも自発的ではない、というのは大差だと思う。

今までのテレビに感謝しつつ、私は目の前の芸に惹かれているので、もうテレビに魅力は感じていない。



新聞について。

4年前から意識して新聞を読んでいる。

通勤時に日経新聞。家には読売新聞。

日経新聞の文化面は本当に面白い。毎日楽しみにしている。

ニュースはいつからか、事実だけを知りたいと思うようになり、新聞、テレビ、どちらで知っても事実だけに意識している。

どこでニュースを知るのか。携帯のあるニュースは止めたので、これから意識してみよう。たぶん新聞かな。

出版について。

内田樹さんの著作権の話はよく分かった。

私も母が与えてくれた、絵本、図鑑、学研の科学、そして小学校の図書室、図書クラブで無償の読者だった。

自分の過去を思い出させてくれる本は好き。

出版の危機も、まぁよく分からない。

本屋に行けば大量に本が並んでいるから。

でも最近までは目にするから買うをやっていた。

それをやめて、自分の中から欲している本と出会えば迷わず買うに変えた。

まぁ、たまに衝動買いはするけど。



内田樹さんのように、上手く考えも文章もまとまらないので、自分なりに惹かれたページを書いていく。

*まえがき P.6

*第一講 P.21

*第二講 P.58

*第三講 P.71

*第四講 P.95

*第五講 P.118

*第六講 P.163
「蜘蛛の巣に絡み取られた」「読書人」だと思っている。

*第七講 P.180

*第八講 P.198

*あとがき P.210


旧暦葉月十六日、満月、秋分、カミナリスナワチコエヲオサム。空氷