文楽地方公演

こんばんは。

今日は文楽地方公演、河内長野ラブリーホールに出かけた。

でも南海高野線が人身事故。

ホームで待つのが嫌でタクシー移動。

結局間に合わなかったのが悔しい…。

でも10分ほどの遅刻だった。

しかも清友さんの楽屋入りと同時でした!

出番を覚えていたら話しかけられたのにと思った。ちょっともったいなかったね。

遅れたおかげで?あいている席に座らせていただいた。

床の近くで、少し上から観ることができてラッキーだった。

仮名手本忠臣蔵』、おかる父が殺されてしまう場面には間に合った。

悲しいが聴きたかった場面なのでよかった。

そのあとの猪にも、もちろん間に合ったし。ちょっと遠かったけど。

おかると母の別れに涙し、おかる母が勘平に詫びる場面でも泣けた。



『釣女』は清十郎さんを少しでも近くで拝見したいので、係の人にお礼を言って、チケットの席へ移動。

休憩時間、お手洗いの数が多くて感動した!



『釣女』は楽しい。

「絵」と恵比須、
「木」と木比須、
に笑った〜。始まる前に床本を初めて読んだが、二回目か三回目ぐらいにやっと理解した(笑)。

「山」のくだりも楽しい。

それを清十郎さんが遣われているのがまた楽しかった。

桐竹勘十郎さんのお福と長いことやりあっていたのが、本当に楽しかった。

やはり私は清十郎さんを観ていたいんだ。

って、お人形を観てますから。

裃のカブの柄がよかった。



終演後には予想外の展開。おばちゃんに感謝。

今日はツイてないと思っていたが、タクシーに乗っている間は空を眺めてにこにこしていた。

うろこ雲だった。

他にもツイてないことはたくさんあって、でも楽しめるし、受け入れることもできる。



自分次第やね。



曽根崎心中』は従姉妹と鑑賞。

昼の部聞けなかった、解説。一輔さんの解説は初めて。ええ声だった。

以前ラジオを聞いたことがあったが、インタビューを受ける方と、話す方では印象が違う。

一輔さんの解説はめっちゃ分かりやすかった。ぜひまた聞いてみたい。

従姉妹とお福ってかわいいでな〜と盛り上がった。

お初徳兵衛の覚悟を知り、手をつなぐ場面、抱き合う場面、と何度も泣けた。

浄瑠璃は初演の方が断然いい!

なので文庫を読んでからは(全てではないが)、床本が読めなかった。

床本が好きになれないので、舞台もお人形に注目していた。

道行の名文は、川島隆太先生のドリル(ゲームではなく本!)で覚えた分より、やはり短かった。

太夫が一人ではない、ことより自分が知っていた長さじゃないことが違和感だったと、やっと3年後に気付くことができた。

あの名文は初演から三人(?二人?)語りなんかな。

あそこは一人語りではっきりと聴きたいなと私は思う。

聴けない以上は、浄瑠璃を読んで楽しもうと思う。



お初徳兵衛は二人で死ぬことが喜びと知って、よかったねと喜ぶことができたのに、やはり死ぬことは切なかった…。

だって死ぬことが身の潔白を示すのって悲しい。

やっぱり生きている内に誰だって正しかったねと言われたい。

心中したお初徳兵衛の理由はちゃんと知らないが、物語は悲しいからこそ後世まで残ったのだろうか。



近松門左衛門の文章は素晴らしいと思う。

読み物として広まったことは理解できる。

橋下知事文楽の良さを分からないのは、当時の大阪人も否定したことになると思う。(橋下知事の話は又聞き。)

初演からそのままではないにしろ、ほぼそのままで遺っているからこそ世界遺産なのに、現代に合わせないから、自分は分からないと言うのは、良さが分かる人が大勢いることをまず無視し、分からない自分の未熟さを公表しているだけだと思う。

以前現代の様式に合わせた公演を増やした方がいいと言う太夫の記事を読んだが、にわかファンの私だが違和感を感じた。

芸のことはまだよく分かっていない。が、個人の好みでは好きではないので、自分の違和感は自分にとっては正しかったと今は思う。

文楽はビジネスにならなくていい。

文楽のスタイルを変えずに、文楽の良さを追求してほしい。

どこかで読んだが、文楽は分かりにくいものと自虐的になるのではなく、分かりにくいがいいものと自信を持っていただきたい。

今日は空席が目立ったが、だからといって文楽が悪いわけではないと思う。


旧暦葉月十九日、カミナリスナワチコエヲオサム。空氷