並木千枝の文楽散歩その1

sorahi2011-01-20

こんばんは。約一ヶ月ぶりのブログ。久しぶり過ぎて戸惑う…。

始まりの、「こんばんは。」は覚えていた。

ツイッターではできないことを、と思いブログへ帰ってきた。

今日は大好きな竹本駒之助さんの番組を予約し忘れ、しょんぼりしていたおかげで思い付いた!



人生って面白いわ。



文楽の出会いから、順を追って書いていく。

タイトルは全て、
『並木千枝の文楽散歩』

並木千枝も本名ではない。ツイッターのアカウント(@namikichie)。

タイトルの「散歩」は浮かんだ時からいいなぁと思い決定。

文楽と散歩は特に関係はない。でも、そういえば文楽ゆかりの地を散策しているから、関係あるわ。



そんなこんなで、過去へ戻ってみる。





人形浄瑠璃文楽との出会いは、JR新大阪駅静御前の人形だった。

2007年1月26日のこと。

この日は憧れだった、齋藤孝先生に初めてお会いした日。

読売新聞、読者の夢インタビューに採用された。

新幹線には久しぶりに乗った。もし自腹だったら、新幹線に乗らなかっただろう。



この日には、いくつもの「もし」がある。

もし…採用されていなかったら。
もし…応募していなかったら。
もし…読売新聞を読んでいなかったら。

…行き着くのは一人の友人。今は付き合いがなくなってしまったが、文楽との出会いに感謝。



そもそも「人形浄瑠璃文楽」を知ったのも最近で、2005年7月の転職を機にJR通勤になってから。

転職も別の友人につながる。本当に文楽との出会いをありがとう。



無数の「もし」を経たこの日。

JRのチラシで見ていただけの文楽人形。

「こんなにもかわいいん〜。」
とショーケースのガラスにへばりついて見ていた。

帰り道、この通路じゃなかったらと思うとコワイ…。

怖がりだが、大好きな文楽だから、別のカタチでも出会っていたのかな、とも思う。

今はこんなにも確信がある。



2007年4月8日初めて国立文楽劇場へ出かけた。

チケットが二等席2300円のお手軽さと、JRみどりの窓口で買えるのも面倒くさがりには助かった。

そもそも世界遺産ミーハーだったことが功を奏した。

世界遺産だったから文楽が気になっていた。



いざ、向かうことになり難波、日本橋周辺の地図を何度も眺めて確認した。

服装も何が相応しいのかドキドキした。ジーンズではあるがスニーカーではない唯一の靴を履いていった。

国立文楽劇場に着くと、服装は気にすることはなかった。(以降雨の日などに、ジーンズとスニーカーで出かけるようになった。)



二階に着いてすぐ、「曽根崎心中」の書に感動した。

2006年川島隆太先生のドリル(新書サイズ)でたくさんの名文を覚えていた。

でもドリルを電車内で黙読しながら、人形浄瑠璃とは思いも依らなかった。

大阪の学校は特に、人形浄瑠璃を勉強し、鑑賞する機会まで設けるべきやと思う。

大阪で生まれ発展し、世界遺産にまでなった人形浄瑠璃に、子どもの頃から親しむことは当たり前やと思う。



平成19年4月公演、第1部
玉藻前あさひの袂(たまものまえあさひのたもと)
*心中宵庚申

二等席からでも人形の出に感動した。

「人形が歩いてるよ〜。」
亀次さんだった。

文楽人形は三人遣いという情報をいつ手に入れたのか。

この辺の記憶は曖昧。

葛西聖司さん著
文楽のツボ」

を読んでいたように思う。

文楽に行く前から本を買うなんて、やるなぁ、あたし(笑)。



玉藻前あさひの袂

津駒大夫さん、寛治さんを聴いていた!



お昼休憩があるなんて思ってもいなくて(元々電話確認をして11時から15時45頃までの長丁場にも驚いた。)、お腹の空きには文楽せんべいを食べた。



*心中宵庚申

吉田簑助さんのお千代、清十郎さん(清之郎さん)の姉おかるを観ている!覚えていない。

父の人形と人形遣いがごっちゃになったのが、今ではいい思い出(笑)。

プログラムは黒衣やけど、確か出遣いやったはず。

お千代父は、なんと文吾さん!

竹本住大夫さん、嶋大夫さんで聴いている。

そうだ!NHKのテキストも買っている。でも見終わってからのような気がするなぁ。

住大夫さんは、やはり拍手の多さですごい人!と感じたのだろうか。

プログラムにも重要無形文化財保持者と書いてあるし。

なんかすごい人なんだ、ということだけは分かったこの日。

心中ではあるが筋の良さも分かった。



この日、劇場で解説本「舞台裏おもて」を買って帰った。もちろんプログラムも。

時間切れ。またぼちぼちと書いていく。


旧暦師走十七日、満月、大寒、フキノハナサク。並木千枝