『絵本太功記』で旧暦

sorahi2011-08-11

こんばんは。

今日もきれいな空だったので、書いてみることに。

昨日も空を見ながら、うろこ雲って清姫のうろこに似てるなぁと思った。

昨日はそれを書き忘れて、今日また思っていたら般若のような顔が見え清姫がいるような気がした。

空一面が清姫のようだった。

そう思っていたら、清十郎さんのブログがアップされていた。



まさかのまさかず!!



しつこいな。でもなかなか封印できず。

当分はこんな感じが続くと思う。

ふざけてはいない、楽しんでいるだけ。

ね。



『旧暦』



2006年立春の時にふと気になって、それ以来勉強を続けている。

転職をし読書を再開して3年目だった。

何かを調べるということに気付けるようになった。

それまでは立ち止まらず走り続けていたようなもの。



環境が変わるってすごいなと改めて思う。



『絵本太功記』は史実が含まれていて、ドラマで目にしていたから、人形浄瑠璃では逆に私には馴染まなかったのかなと今は思う。

私の明智光秀像は、坂東三津五郎さん。(古畑の犯人役も大好き。)



だからお人形がそもそも受け入れられない。

母さつきは読んだ時のきつい印象より、勘壽さん!と思って優しい印象に変わった。

でも物語には入り込めなかった。

私がもっと歴史に詳しくなれば感じ方も変わるのかもしれない。

今は加藤廣さん『明智左馬助の恋』を読み始めている。



本能寺の変



Wikipediaでは、
天正10年6月2日
1582年6月21日

グレゴリオでは、
1582年7月1日とある。



???



何度Wikipediaを見ても理解出来なかったが、やっと調べる箇所が分かった。

なんと!(って知ってる人が多かったらどうしよう←どうもせんでいい)

ユリウス暦からグレゴリオ暦に変わったのが、
1582年だった。



びっくりした!!



1582年2月24日発布
1582年10月15日施行らしい。※11日のズレ。



だからグレゴリオ暦に換算すると、

本能寺の変

1582年7月1日

山崎の戦い

1582年7月12日だと思う。



旧暦の日付をそのまま太陽暦に、というのはどうも納得できない。

旧暦の日付でお月様を知って、でも今の季節の感覚に合わせて(本来は旧暦に合わすので季節は不順だが)当時のことを偲ぶのが合っているように思う。



本能寺の変が6月2日、6月21日、7月1日だと印象が変わると思う。

私は7月1日だと思うことにする。

光秀の命日は7月12日。

グレゴリオ暦は存在しなかったけど、地球の一年は変わらないはずだから。



『旧暦』好きのおかげで楽しめた。



このあいだの節分(立秋の前日)では、恵方巻きの宣伝を見たが、私は間違っていると思う。

やはり2月3日(立春の前日)が年末だった名残の習慣やから、同じ節分でも豆まきだってしないでしょ。

今のビジネス展開にはついていけないことが多い。

ついていかなければいい。

話は逸れるが、テレビを見ているのに、やたら映画の宣伝ばっかり。

控えるという自信はないのか。

私は今年やっと見たい映画に雑誌で出会った。

それは宣伝を見たことがなかった。

まぁ敢えて書かないでおく。

ちゃんと見に行けてから書くとしよう。



金儲けじゃない目的はあるよね。

自分にも常に問いかけていたい。

つい文楽の演目も大河ドラマに合わせればと私は考えがちだったが、やはり関係ない流れだってあっていいと思う。

集客は芸のみで勝負するもの。

世の中の宣伝に乗っかり過ぎてはいけない。



『旧暦』に戻ろう。

日本は1873年(明治6年)1月1日施行。

前日は天保暦12月2日だったらしい。

暦に関して福沢諭吉は有名だから変わり目の人なんだと知っていた。

今日は切り抜いた日経新聞の奈良の記事をふと思い出し、岡倉天心のことを考えていた。

調べると旧暦の生まれだった。

以前参加していた読書会で『東邦の理想』を知り、身近に感じていたが、今日初めて知ったので驚きの感動があった。

そういえば漱石先生も江戸時代の生まれやしな。



『旧暦』からいろいろ広がって本当におもしろい。



旧暦文月十二日、スズカゼイタル。空氷