邪馬台(ヤマト)国ー唐古・鍵遺跡から箸墓古墳へ

こんばんは。

今日は夕方から出かけるので、それまで読書。

唐古・鍵遺跡が大きな集落だと初めて知った。

西殿塚は台与と崇神で、行燈山が垂仁という説に驚いたが、納得。

以前のシンポジウムで、西殿塚には男女が被葬されていると知り、その話はそのままだったから。

でも継体妃が大和国にあって、継体は高槻市の今城塚と、離れているのはなぜだろうと思う。

みんながみんな、近くに埋葬されないもんなのかな。

近くに埋葬されることが当たり前じゃないってことかな。

3番目と4番目の被葬者もすごく気になる。

分かる時が来るのだろうか。

卑弥呼の墓も水野先生が反対されていることに驚いてしまった。

岸本先生のお話を聴くまでは、岩波新書を読み、違うのかとあっさり納得したのに、今また卑弥呼の墓と思っている自分がいた。

これも決着がつく時が来るのだろうか。

ヤマト国は近畿説で決着したと思っているので、箸墓古墳の被葬者が分かればいいな。

卑弥呼っていない人ぐらいに思っていたはずなのに、ここ最近身近に感じる。

でも卑弥呼古墳時代に変わるのだろうか。

最初に思ったこと。

でもやはり箸墓古墳から古墳時代となると、そこは変わらないままってことに。

上田正昭さんの本も読んで、歴史認識を厚くしよう。

今日は下巻が欲しかったけど、まずは上巻を読んでから。

訪問着の帯などを揃えたから!

ふ、ふ、奮発したよ♪

ま、ま、満足♪

お召しの余り布の、草履と鞄の仕上がりがめっちゃかわいかった!!

つばめ柄の折りたたみ傘と、花柄の長靴もみつけて、衝動買い♪うふ。



フニクリ・フニクラって鬼のパンツやん!?



スズメハジメテスクウ。空氷